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『トーゴ』(映画)ネタバレやあらすじは?そりに参加した犬のその後や当時のニュース情報も

ディズニーの実写映画「トーゴ」の制作が2016年に発表されてから、ようやく撮影開始のニュースが入ってきました。

主演はウィレム・デフォー、氷点下を犬ゾリでかける操縦者の役を演じます。

それでは公開された情報もまだまだ少ないのですが、「トーゴ」のあらすじ、ネタバレ、そして実際のニュースなどを紹介していきます。

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Contents

「トーゴ」ってどんな映画?

写真は2018年にアラスカ行われた犬ゾリ大会の様子です。

1925年の冬、アメリカアラスカ州ノームでジフテリアが流行した時、
アラスカ州全域が激しいブリザードに覆われ、飛行機で血清を運ぶことができずにいました。

代わりに20もの犬ぞりチームが約1000キロの距離をリレーし、
ノームの人々に血清を届けることになります。

ソリを引くトーゴは、最後から2番目のチームのリーダーで、
このチームは、全チーム中一番長い、過酷な距離を走破する役目を追います。

そして、そのチームの操縦者とトーゴの間に、強い絆が結ばれていきます。

ネタバレ

この話、「1925 Nome Serum Run-sled Dog」として有名な実話を元にしています。

アラスカのノームまで、血清を届けに1000キロを犬ゾリリレーで運んだんですね。

そして、その英雄として大きく取り上げられていたのは、
最後の距離を担当したチームのリーダー、バルトでした。

1995年には「バルト」として、ユニバーサル映画でアニメーション映画が制作されました。

こちらはもちろん犬目線ですが、主人公はゴールを決めたバルトです。

ですが、本来のヒーローは、もっとも過酷な距離を走ったチーム、
そのリーダーのトーゴだと言う声があるんですね。

ディズニー制作サイドでも、「トーゴこそヒーロー」という意志をもって制作するそうです。

9月24日からカナダのアルバータ州での撮影を予定していて、
2019年の3月ごろには、何らかの形で映像を公開するそうですよ。

過酷な環境で進む犬ゾリ、トーゴのリーダーとしての力、
そしてそれを駆る操縦者役のウィレム・デフォーの葛藤など、
大きな感動を与えてくれること間違いなしですね。

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当時の様子は?

上記は実際のトーゴの写真です。

トーゴは犬ゾリには向いていないほど小さな体で、
黒や茶色、灰色が混じったシベリアンハスキーでした。

1924〜25年の冬、アラスカのノームの町でジフテリアが広く蔓延してしまいます。

春まであらゆる流通手段が途絶えた町に血清を届けるため、
映画と同じく、犬ゾリリレーで合計で1,085kmの距離を進むことにします。

リレーは1月27日午後9時に、操縦者シャノンがブラックイーが率いる
11匹の経験の浅い犬のチームをすぐに出発しますが、
-46°Cの中、シャノンは低体温症を起こしながら、午前3時にミントに到着します。

中継が何度も行われましたが、シャノンのように低体温症や凍傷にかかったり、
犬たちも力つき、行程の途中で死んでしまい、操縦者がソリを引いた区間もありました。

そして、レオンハルト・セパラと彼の犬ゾリチームは、リードドッグのトーゴと共に、
1月27日から1月31日までノームから560kmを駆け抜けます。

気温は-34℃、体感温度は-65℃の中、トーゴはチームを率いて、
凍った海岸線、リトルマッキンリー(デナリ:上記画像)を横断、
そして睡眠6時間という過酷な旅を、5日間も続けます。

2月2日の午前5時、レオンハルト・セパラとトーゴから引き継いだ
Gunnar Kaasenとバルトがノームの町に到着しました。

Gunnar Kaasenは
「最終的に町を救うために賞賛されることが多いのは、バルトですが、
 55マイル走っただけなんです。この素晴らしい結果をもたらしたのは、トーゴだった。
 200マイルもの距離、危険海岸線を横断し、チームと操縦者を勇気づけて救った」
とコメントしています。

参加した犬のその後や当時のニュース情報

写真は、アンカーチームのリーダーバルトです。

バルトのチームも到着時には、視覚に影響が出るほど衰弱し、悲惨な様相だったと言います。

そのせいか、やはり人の目に多くついたバルトが英雄化していきました。

1925年2月から1926年2月まで西海岸をツアーし、
短編映画「Balto’s Race to Nome」にも出演しました。

1925年12月に訪れたニューヨークのセントラルパークには、
彫刻家のフレデリック・ロスによるバルトの像まで公開されました。

バルトは1933年3月に14歳で死に、その姿はクリーブランド自然史博物館に展示されています。

そして、トーゴはというと、ツアーにはバルトとともに参加していましたが
「ヒーローはトーゴとレオンハルト・セパラだった」という声に後押しされ、
1929年12月に16歳死ぬと、翌日のニューヨーク・サン・タイムズの見出しは、
「犬のヒーローが亡くなってしまった」でした。

そして、トーゴの死後には、なんとセラム自らがトーゴを剥製にし、
その姿は今でもアラスカの博物館で見ることでができます。

多くの犬たちが死に、操縦者たちも負傷したこの命のリレー、
今でもアラスカを始めとするアメリカで、多くの人に語り継がれているのは納得ですね。

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まとめ

実話をもとにした映画は多くありますし、動物ものもたくさんあります。

今作も、改めて真のヒーロー犬を讃える名作映画となるでしょう。

すでに、過酷な環境を想像して、犬好きはたまらなくなっているのではないでしょうか。

そして、実際に深い絆で結ばれていた操縦者とリーダーのトーゴ、
その関係がウィレム・デフォーの演技でさらに深まることは間違いないでしょう。

2019年に公開されるだろうこの「トーゴ」、これからも新情報はチェックですよ!

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2 件のコメント

  • 画像二つ目のアニメの説明
    「そして、その英雄として大きく取り上げられていたのは、最後の距離を担当したチームのリーダー、ボルトでした。
    1995年には「ボルト」として、ユニバーサル映画でアニメーション映画が制作されました。」

    ボルト ではなく バルト- だと思います

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